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2014年4月16日水曜日

@ 詩編 23より

 詩編23

ダビデは以下の素晴らしい歌を神に捧げて讃美しました。
キリストを信じる者あれば・・又 聖書を1度は読んでおられるならば 必ずと言って良いほど読まれる詩編の23番です。





ダビデの賛歌
 23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

   羊はその性格として、一匹では生きていくことが困難です。
少し気ままでもあります。集団で無いと生活が出来ないのですが、時には、その枠から迷い出て、自分の食べたい、牧草を探したい所に勝手気まま ある意味自由?しかしも後戻りが出来ない性質を持ち合わせています。  迷い出る羊の原因でもあります。

羊飼い。その主人の顔もよく知ってもいます。
  偶然。有る道筋で、私は羊の群れの前に、立ち会わせてしまいました。(海外に居たときの話しです。) 羊たちはビクリとも動かなくなりました。
  羊飼いは『 ムッシュー(私のこと)少し道を空けてくれないか?羊が動かなく成るから・・』」と言いながら、羊たちに声を掛けると、一斉に私の横をする抜けて言いきました。

  羊には、羊飼いの存在が不可欠なのですね。
その羊飼いが、羊たちの必要を完全に満たすのです。
時には熊やオオカミ等の猛獣からも、羊たちを護ります。


 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

神はその栄光のために、ご自身の力を現されます。
ご自身の語られたこと、御言葉を実行なさいます。
喩え私たちが、間違った道、方向に歩み出しても、連れ戻して下さいます。

神がソドムを滅ぼそうとしたときに、彼の甥ロトのためにもアブラハムの願いとりなしを聞かれて、ソドムからロトを救い出されました。しかし、ロトは完全には神の言いつけを聞かないで、途中で止めてしまいましたけれど・・

注意が此処で必要です。完全にしたがったのか?許容範囲だったかで結果が違うことを、覚えて下さい。

予言者、バラムが間違った道を歩もうとした際には、ロバが先に天使達を見つけて引き下がりました。そのロバが口をきいて、予言者バラムをたしなめました。
神の注意は何時も穏やかなのです。なので、私たちは気がつかないことさえもありませんか? 神は私たち一人一人の決断を重要視なさいます。

ダビデは屋上から見た女性を欲しがり、その夫を戦場に送り、計画犯罪を犯しました。
預言者はダビデの罪をたしなめました。彼は大きく悔い改めました。
悔い改めるか?開き直るかはダビデ自身が決断しました。

 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私たちはこの様で生きている限り、苦難や苦しみ、病との戦いです。
人間関係にも疲れが生じます。 私たちはキリストに向かって自分の解決されたいことを願います。
  神は、それらにも答えを下さいます。
神が叶えて、どれだけ、ご自身が崇められるか?栄光につながるか?を推し量られます。
私たちの個人の欲望を満たす願いは聞かれないと思います。悪い欲望を満たすのはサタンの力です。神が聞いたわけでは無いのです。

キリストを信じたのに、何故こんな事で苦しむのかと疑問さえ湧きます。
けれど、神の鞭は正しい道に導くと覚えるならば、どんな事柄も乗り越えられます。神様の御心に立って、祈りの答えは神が出されます。
試練によって成長して、私たちは強くなれます。ダビデの障害を通して見ても、沢山の苦しみ、誤解され、病にも成り 戦いがありましたが、絶対的な信頼を父なる神に捧げ通しました。

 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

神への信頼の報酬を私たちは受け取ることが出来ます。

 人間関係に疲れて・・教会の中に居て孤独を味有ったことが無いですか? それでも神は貴方の側におられます。

時に正しく正当なことを言うと、仲間はずれに遭うことが、私たち人間社会の中でも良くおこります。クリスチャンになった途端に・・

あなたが御言葉に沿って正しいので、抵抗勢力が妨害するのです。(ある領域では霊的な戦いです。)

クリスチャンとは キリスト馬鹿と言われた名残の語源です。
それだけ熱心に何時もキリストを話して伝えていたからです。


 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

あなたは決して孤独では無いのです。神が私たちの側におられることを現実的に受け止めましょう。


    



  私たち人間側の自己の利益では、神は答えられないです。

感謝と讃美が無くしては次の答えも無いです。どの様な事があっても神から離れない決心が不可欠です。

あなたの上に羊飼い成るイエス様が側におられることを感謝して、その臨在を覚え続けましょう。


追記。

 季節が変わります。椿も桜も終わりかけの神戸です。
けれど変わらない神の言葉と復活の証 主が生きておられることです。
次の御言葉を頂き、失望から立ち上がれ、私の癌に立ち向かえました。癌が治りました。癒やされました。失意と絶望から立ち上がる希望を頂いた言葉です。

現実を見れば、まだ手術まで祈る事さえ出来ない元気も無いときでしたが、『喩え、死の影を歩みとも・・』 この言葉から癌が治ったと信じて受け入れ、治って緑の牧場=私の社会生活の場を元気に飛び回っている姿を想像し、感謝の讃美を始めました。
治った現実を受け入れたのです。<手術まえでした。>

医師が手術を始めると???確かにレントゲンや癌反応が何度調べてもそれらしい癌は無く消えていました。
医師が首をかしげながら、説明をして下さいました。


希望と信頼が、私たちの信仰の成長させる種です。水を注ぎ育ててくださるのは、私たちの助け主の聖霊様です。

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祈っても直ぐに、応えられないときもあります。その時に答えが無いのでは無く、その時に応えがないだけです。不安に打ち勝つならば、時を見計らって、神は必ず答えられます。応えと答えの違いだけです。1度 聞かれた神は、年月を隔てたとしても、ご自身の栄光のために叶えられます。

個人、個人の祈りにも年月を要して叶えられた事も 聖書には書かれています。キッチリと神は答えておられます。神を待つ間に信仰が強められますように。




私たちの祈りが、御心に沿った祈りであるならば、キリストの十字架を血に染めた神です。 椿の木が、十字架と思えて撮影しました。受難週を覚えて・

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YouTube動画 LOVEJOYwwjdさんのチャンネルより


 http://youtu.be/SX4ly9pwPIQ

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