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2014年4月16日水曜日

@ 詩編 23より

 詩編23

ダビデは以下の素晴らしい歌を神に捧げて讃美しました。
キリストを信じる者あれば・・又 聖書を1度は読んでおられるならば 必ずと言って良いほど読まれる詩編の23番です。





ダビデの賛歌
 23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

   羊はその性格として、一匹では生きていくことが困難です。
少し気ままでもあります。集団で無いと生活が出来ないのですが、時には、その枠から迷い出て、自分の食べたい、牧草を探したい所に勝手気まま ある意味自由?しかしも後戻りが出来ない性質を持ち合わせています。  迷い出る羊の原因でもあります。

羊飼い。その主人の顔もよく知ってもいます。
  偶然。有る道筋で、私は羊の群れの前に、立ち会わせてしまいました。(海外に居たときの話しです。) 羊たちはビクリとも動かなくなりました。
  羊飼いは『 ムッシュー(私のこと)少し道を空けてくれないか?羊が動かなく成るから・・』」と言いながら、羊たちに声を掛けると、一斉に私の横をする抜けて言いきました。

  羊には、羊飼いの存在が不可欠なのですね。
その羊飼いが、羊たちの必要を完全に満たすのです。
時には熊やオオカミ等の猛獣からも、羊たちを護ります。


 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

神はその栄光のために、ご自身の力を現されます。
ご自身の語られたこと、御言葉を実行なさいます。
喩え私たちが、間違った道、方向に歩み出しても、連れ戻して下さいます。

神がソドムを滅ぼそうとしたときに、彼の甥ロトのためにもアブラハムの願いとりなしを聞かれて、ソドムからロトを救い出されました。しかし、ロトは完全には神の言いつけを聞かないで、途中で止めてしまいましたけれど・・

注意が此処で必要です。完全にしたがったのか?許容範囲だったかで結果が違うことを、覚えて下さい。

予言者、バラムが間違った道を歩もうとした際には、ロバが先に天使達を見つけて引き下がりました。そのロバが口をきいて、予言者バラムをたしなめました。
神の注意は何時も穏やかなのです。なので、私たちは気がつかないことさえもありませんか? 神は私たち一人一人の決断を重要視なさいます。

ダビデは屋上から見た女性を欲しがり、その夫を戦場に送り、計画犯罪を犯しました。
預言者はダビデの罪をたしなめました。彼は大きく悔い改めました。
悔い改めるか?開き直るかはダビデ自身が決断しました。

 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私たちはこの様で生きている限り、苦難や苦しみ、病との戦いです。
人間関係にも疲れが生じます。 私たちはキリストに向かって自分の解決されたいことを願います。
  神は、それらにも答えを下さいます。
神が叶えて、どれだけ、ご自身が崇められるか?栄光につながるか?を推し量られます。
私たちの個人の欲望を満たす願いは聞かれないと思います。悪い欲望を満たすのはサタンの力です。神が聞いたわけでは無いのです。

キリストを信じたのに、何故こんな事で苦しむのかと疑問さえ湧きます。
けれど、神の鞭は正しい道に導くと覚えるならば、どんな事柄も乗り越えられます。神様の御心に立って、祈りの答えは神が出されます。
試練によって成長して、私たちは強くなれます。ダビデの障害を通して見ても、沢山の苦しみ、誤解され、病にも成り 戦いがありましたが、絶対的な信頼を父なる神に捧げ通しました。

 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

神への信頼の報酬を私たちは受け取ることが出来ます。

 人間関係に疲れて・・教会の中に居て孤独を味有ったことが無いですか? それでも神は貴方の側におられます。

時に正しく正当なことを言うと、仲間はずれに遭うことが、私たち人間社会の中でも良くおこります。クリスチャンになった途端に・・

あなたが御言葉に沿って正しいので、抵抗勢力が妨害するのです。(ある領域では霊的な戦いです。)

クリスチャンとは キリスト馬鹿と言われた名残の語源です。
それだけ熱心に何時もキリストを話して伝えていたからです。


 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

あなたは決して孤独では無いのです。神が私たちの側におられることを現実的に受け止めましょう。


    



  私たち人間側の自己の利益では、神は答えられないです。

感謝と讃美が無くしては次の答えも無いです。どの様な事があっても神から離れない決心が不可欠です。

あなたの上に羊飼い成るイエス様が側におられることを感謝して、その臨在を覚え続けましょう。


追記。

 季節が変わります。椿も桜も終わりかけの神戸です。
けれど変わらない神の言葉と復活の証 主が生きておられることです。
次の御言葉を頂き、失望から立ち上がれ、私の癌に立ち向かえました。癌が治りました。癒やされました。失意と絶望から立ち上がる希望を頂いた言葉です。

現実を見れば、まだ手術まで祈る事さえ出来ない元気も無いときでしたが、『喩え、死の影を歩みとも・・』 この言葉から癌が治ったと信じて受け入れ、治って緑の牧場=私の社会生活の場を元気に飛び回っている姿を想像し、感謝の讃美を始めました。
治った現実を受け入れたのです。<手術まえでした。>

医師が手術を始めると???確かにレントゲンや癌反応が何度調べてもそれらしい癌は無く消えていました。
医師が首をかしげながら、説明をして下さいました。


希望と信頼が、私たちの信仰の成長させる種です。水を注ぎ育ててくださるのは、私たちの助け主の聖霊様です。

<< 詩編 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。>>  

祈っても直ぐに、応えられないときもあります。その時に答えが無いのでは無く、その時に応えがないだけです。不安に打ち勝つならば、時を見計らって、神は必ず答えられます。応えと答えの違いだけです。1度 聞かれた神は、年月を隔てたとしても、ご自身の栄光のために叶えられます。

個人、個人の祈りにも年月を要して叶えられた事も 聖書には書かれています。キッチリと神は答えておられます。神を待つ間に信仰が強められますように。




私たちの祈りが、御心に沿った祈りであるならば、キリストの十字架を血に染めた神です。 椿の木が、十字架と思えて撮影しました。受難週を覚えて・

合わせてこちらもご覧下さい。
YouTube動画 LOVEJOYwwjdさんのチャンネルより


 http://youtu.be/SX4ly9pwPIQ

2014年4月8日火曜日

@ 全能の神.エルシャダイへの賛歌

全能の神への賛歌                         

エル・シャダイ、エル・シャダイ               
永遠に備えられ方。
                          


時が永遠に続いても変わらぬ、お方、           
あなたの名前の力によって。                   
エル・シャダイ、エル・シャダイ              
全てを据えられる方。    
                    
私達はあなたの名を高く掲げて賛美します。    
エル・シャダイ     アドナイ イルエ                          .

あなたの愛は、身代わりの子羊によって、    
あなたは、アブブラハムの息子イサクを救いました。

あなたの力強い手を通して、                  
海を乾いた地に変えました。 
                 
追放者(ハガル)の迷った足を導かれ、        
あなたは、その女の行く末さえも見つめる神でした、        

そして、あなたの力によって、                
あなたの子、私達を自由の身にしました。   

エル・シャダイ、エル・シャダイ              
永遠に備えられ方。  
                        
年月を重ねても、あなたには変わりなく。 
一日が千年のようであっても・・
  
あなたの力ある名によって。                  
エル・シャダイ、エル・シャダイ  
            

全てを備えられる方                          
私達は高くあなたを称賛して、                
その名を高く掲げ上げます。                  
エル・シャダイ 全能の神よ。
御名を讃えます。

あなたは行く年も変わらずに御言葉通りに、明白にしました。  
それは、キリストの時が近いですから・・。
    
人々が見えることができなかったけれども、    
メシアがそうであるべきであること。    
      
あなたの御言葉の中には多くの計画を含んだけれども、       
彼らは、直ぐに私たちは理解が出来ませんでした。     

あなたの最も素晴らしく、すごい手の技をなされました。

あなたの一人子 キリスト。
人の子として生まれその弱さを通して。                 
 
エル・シャダイ、エル・シャダイ       
エレ エレヨン アナ アドナイ  
      
あなたは永遠から永遠に変わらない方です。 
アルファで在り オメガです。
  
キリストのお名前の力によって。 
                         
エル・シャダイ、エル・シャダイ 、           
Erkamka na アドナイ、               

         
私はあなたの名を高く上げて称賛します。
心からの讃美を献げます。
全てを備えてくださるお方です。  
 エル・シャダイ。    エル・シャダイ 、           
Erkamka na アドナイ      

2014年4月4日金曜日

@ 山桜

 誰にも気に留められずに


ひっそりと            

目立たない存在のあなた。


厳しい条件下に置かれ

夏の日照り 冬の寒さに耐えながら暮らしている。 

あなたの存在などは、誰も気に留めない。

周りには、あなたよりも目立つ生き方をしているものが

あまりにも多いからね。

日常で誰も あなたを顧みたりはしない。

周りは誰も気がつかないで、私たちに感嘆の声も上げてもくれない。

しかし、復活の春には、艶やかな装いに生まれ変わり

あなたの全身の喜びが、周囲を驚かせ 感嘆させ魅了させる。

遠く離れていても、輝いている貴方の姿を発見できるよ。

緑が多い森の中で、あなたが1番目立ち輝いているからね。

何て素晴らしい。

一年分の苦労が報われている瞬間だね。


あなたは一年のとても短い期間だけれど

多くの群衆に感動と癒やし、喜びを与える。

それはなんと 驚くべき素晴らしいことか

またあなたの結実は小さくても、空の鳥を喜ばせ

小鳥たちをしっかり 養うように成る。

その実は、その報酬と成り あなたらしい 君の仲間を

その山の中に残していく

あなたの名前は、山桜。

一年に1度 短い間の出来事

華々しいときが過ぎたら あなたは、また次の時まで控えめ

目立たない生活に戻っていく。着実に 次の計画の為に

緑の森の中 山の中で 沈黙し着実な暮らしをして・・

あなたの名は 山桜。



私たちの人生も、同じだと思う。

生活に追われ疲れたり、人から顧みられ無きときもある。

神の計画にしたがって生きていても

厳しい条件下に置かれるときが在る。

キリスト、父なる神は 、それでも着実に、あなたを顧みて 

人生の中で華を咲かせ、信仰の実がなるように導かれる。




私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。

彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
イザヤ53:1~2

 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。

けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。







あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
マタイ 6:26

2014年3月19日水曜日

@ 詩編21より 喜びは・・


21:1~4 主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。

あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。 セラ

あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。

彼はあなたに、いのちを請い求めました。あなたは彼に、とこしえまでの長い日々を与えられました。
     

21編は、とりなしの賛美です。

祭司や会衆が、王であるダビデに、生ける神が,ダビデに働いておられる事の喜びと感謝賛美を捧げています。

神がおられ、ダビデを支えておられる事。王を支えるので、国民である会衆からの感謝の声が、
キリストへの賛美なっています。

私達は、キリストの十字架の贖いによって、神の国の民となっています。
私達はキリストに栄光が増し加わるように祈り、かつ、その栄光が実存していることを
感謝しなくてはいけません。

キリストの冠は栄光の純金です。私達は永遠の命を求めました。そして、与えられています。王であるキリストに願う願いは、決して退けられません。

 時々 祈ったけれど答えがないからと失望なさる方もおられます。

答えがないのではなく、既に王であるキリストによって与えられているからです。

では何故でしょう?探し方が悪いと見つからないのに似ています。
沢山の祈りの答えが既に、私達の周りに来ています。 探し方ら悪と見つからないのです。

リアリティーを捜しましょう。それは信仰によって得られる、捜せるのです。助けてある聖霊様と
ご一緒に捜しましょう。  リアリティーを待つ間に大切な事があります。 
あなたの信仰の成長です。また賜物として活用できる段階的な成長です。

 ダビデに油注がれてから、サウルのところに連れてこられました。しかし、ダビデは直ぐに王になったのではないです。試練苦難、死の谷を歩みました。
でも、既に神からの油は注がれていました。
またダビデも色々の経験を通して、神への信頼を育ててゆきました。

 神はアダムを創られました。  

アダムは、私達の創造主の期待から外れたことをしました。けれど、神はそのアダムに救いの道を備えて下さいました。 アブラハム、ダビデ、キリストを通してその計画は実行されました。
私達も母の胎の中で創られました。救いの約束されて、私達は生まれました。
しかし、私達一人一人が,その救いの約束に対しての告白して信仰を その救いを受け入れなくては確定されないのです。

主キリストを、私達が信じる事は、キリストの栄光となります。
だが、主の栄光を奪おうとして、霊的な戦いはあります。その矛先は、信じた私達に向けられています。
敵とはサタンです。9節には、敵を徹底的に、飲み尽くすと書いてあります。 

気を緩めることなく、神に賛美と信頼を重ねましょう。私達の捜し物、現実性を奪い隠すからです。
敵の一番の方法は、私達に失望感を与えてダメージを加えるのです。
信仰の人。ヨブも試されました。 妻からの神を呪って見たらと唆されて・・

 私達も試されないことを祈るべきです。と言って 試されることをおそれてはいけません。

詩編21:6~7
あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。
まことに、王は主に信頼し、いと高き方の恵みによってゆるがないでしょう。

 私達は、王なるキリストに支えられて、信頼を学び知り、答えを探し出して、喜びが実現するのです。

詩編21:13
主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。

  私達の祈り願い、捜し物は、主の栄光が崇められるためにあるのです。

捜し物、祈りの答えが優先であってはいけないのです。 答えが願いが優先であるならば、答えが無いその間。失望感がつのるでしょう。 それでも主をい求める者には、 神が良いとされた時に、神の手からの喜びを得るのです。

 詩編21:6
『 あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼(王につながる私達)を楽しませてくださいます。』

2014年3月15日土曜日

@ 聖書 詩編 20章より

詩編20:6~9

今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。
彼らは、ひざをつき、そして倒れた。しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。

主よ。王をお救いください。私たちが呼ぶときに私たちに答えてください。

 この詩編は多くのとりなしの言葉。祈りで始まっています。

詩編20:2

主が聖所から、あなたに助けを送り、シオンから、あなたをささえられますように

神はその住まいとされた聖所に住まい、民のためにお答え下さいと、祭司であり王であるダビデがとりなしの祈りをしています。

私達は、主の答えが確実であることを再確認しましょう。また隣人の願いを知り、答えが与えられるように乗りましょう。

 祈りはその方策ではありません。現代には、沢山のHOW TOが在ります。よりよい結果を得るためのガイド本です。  信仰はガイド本ではないです。 時々。聖書の黄金律を取り上げて,成功の秘訣を語る方もおられることも事実ですけれど・・

ただ、神に信頼に、信頼を重ね手、礼拝し賛美し崇めることです。
祈りは十字架から、既に来ています。与えられています。

 「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」

この世の考え方からですと、聖書、神の考え方は、逆の発想になります。問題の解決をさておいて、祷りと賛美を捧げる。と聖書は教えるからです。

それは、油注がれた者を救われるからです。 王であるダビデを指し、また王の王であるキリストを指してもいます。しかし、それでけではないのです。

私達、主を信じる者は、全て主によって、油注がれた者です。ハレルヤ。

Ⅱコリント1:21 『私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。』と聖書は語っています。

 同じく、Ⅰヨハ2:20 『あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。』

Ⅰヨハ  2:27 にも、私達に注がれた油のことが書いてあります。
『あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。』

 そのそがれた油には、あなたに力不足はないのです。 実感がないと思う方もいますか?それは信仰によって、既に受け取っているのです。 あなたの感情ではないのです。
十字架で流された血潮によって与えられているのです。

各自の信仰によって、聖霊の油を沸騰させましょう。沸騰させる燃料は、あなたの情熱の火、信仰の火によって燃やしましょう。

  願い続けるなら 『主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。6節』  
決して不足することなく、あふれ答えられるのです。

2014年3月5日水曜日

@ 詩編19よ

詩編19:1~2

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す

 ダビデは、無言の内に語り伝えられる、神の天地創造の業に驚き賛美しています。
 私もアフリカの大地、サハラ砂漠横断をしたり。大河ユーフラテス河の畔に立ったり、
メソポタミア砂漠、アブラハムの見上げた位置から、星空を見上げたこともあります。
また、日本のアルプス、スイスの山々の頂に立ったりしながら、神の業の素晴らしさに、思いを馳せた事があります。

 大自然の中で、見いだせる神の素晴らしに驚嘆します。人の小ささも思い、神を礼拝に導かせます。そんな思いを抱くのは私一人ではないです。それは礼拝する対象者が、天地を創られた神だからこそです。 単に自然を礼拝する信仰もあります。しかし、山や動物が礼拝の対象ではないのです。

詩19:7~9
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。

聖霊によって導かれ、書かれた聖書は言葉は完全です。 聖書を自分の利益を求めて読んでも意味がない。そこにはキリストの証しが書かれている。

書かれた言葉が、生きた言葉となり。キリストから語り掛けられたように思える。涙を流し、ある時には、聖書から新しい夢に出合いニンマリ笑う。またあるときには、アッそうだ!!と驚き、御言葉からの励ましに嬉しくなって賛美する。 

知識、知恵が与えられ、かしこくもさせてくださる。罪を示され驚愕する。悔い改めに導く。放蕩した者を父の元に帰らせる。落ち込んだ者には元気と希望を与えてくださる。
神言葉、聖書は完全です。

詩19:11-12

また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。
だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。

人は罪の意識がありません。この世の罪を思うからです。神の国の法律は、聖書から理解できます。十戒などが書かれています。今日。色々の考え方が出てきています。律法はユダヤ人だけで、異邦人には守らなくてもよいとさえ言う方もいます。
でも聖書は言います。その報いは大きいと・・    天国に着いて、最後の審判の時に歯ぎしりしても、既に遅いのです。

「知らない隠れた罪を示してください。」と、ダビデは願いました。神、創造主を知らないことも罪です。人は欲に引かれると・・誘惑に落ちいると感覚が麻痺します。それは怖いことです。初めは小さな誘惑、でも結果は大きな罪であり、その人の魂を破壊します。

ネットから各所の情報が、私達の所にもやってきます。 少しだけは・・でも気がつく時には取り返しが付かないこともあります。

ヤコブ1:14-15 「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」

私達は、隠れた罪、気がつかない罪を許される必要もあります。上司、牧師、友人として何気なく語った言葉は後戻りし、あなたの口には戻りません。その口から出た言葉によって、傷ついて人がいるかも知れません。謙虚さとへりくだりが不足していたかも知れません。 また、いくら傷ついたからと言って、何十年も許さないことも罪となって行きます。

御霊の導きで祈りましょう。

ロマ8:26 『 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』

神は、神の元に返ることを強く望まれた。汚れと罪の垣根を取り除くために、十字架の橋を架けてくださいました。その橋を渡りきりましょう。その道しるべは、聖書の言葉です。

一旦。御言葉の道を歩み始めて、後戻りはしないで下さい。立ち止まることがあっても・・ 
キリストにあなたの重荷を委ねて信じましょう。  自分の十字架を背負いましょう。  

マタイ16:24

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
マタイ11:30 『 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』

 神はダビデの告白を喜ばれました。私達も同じ告白に導かれる感謝を捧げます。主よ。

詩19:13-14

『あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。』

2014年1月28日火曜日

@ 誰が、あなたの聖なる山に住むのでしょう.詩編15より


主よ。誰があなたの幕屋に宿るのでしょうか。
詩編15:1

 ダビデは賛歌としてこの詩篇を詠いました。

 彼ダビデは神の幕屋に誰が宿れるのかを聞いています。聖なる山、神殿の建つ山に住めるかを聞いています。普通の常識を越えて・・当時は幕屋、神殿は聖域でした。大祭司が年に一度だけ、それも一時だけ入る事だけが許される聖域でした。その所で間違った行動をするならば、たちどころに神の臨在で死んでしまうほどの聖域でした。

 でもダビデは、そんな聖域に住みたい宿りたいと願ったのです。本来は不可能な場所でも、神に近づきたい願いがあったからです。神に近づき臨在に満たされるなら。 交わり続けらることが、彼の願いでした。神の臨在に触れられて死を覚悟してまでも・・例え不可能であったとしても・・ 彼の熱心はそれほどに強かった告白です。

 私達は、彼ダビデほどの熱心を持って、神を礼拝するために近づこうとしているでしょうか?何か自分の願い達成だけのために、神に近づいていないだろうか。 神が神であるが為に、礼拝するためだけに、飢え乾きを持って神に近きましょう。

今日の私たちは、イエス様の血によって、自由に聖所に入る事が出来る万人祭司なのです。その価値を再認識しましょう。ダビデは願っても出来なかったことを、私達はイエスの血を通しての身分を頂きました。この素晴らしい地位を認識し、イエス様の血潮の価値を痛感しましょう。

その価値を身分を守り得る資格も書いてあります。

正しく歩み、義を行い、心で真実を語る者。と書かれています。クリスチャンとして、襟をただしましょう。言葉を持って人をそしらす、友人に悪を行わないと書いてあります。 隣人の非難を口にしない人とも書いてあります。

 今はネット社会です。私がある検索で調べていると、クリスチャンが、クリスチャンを非難しているしているサイトに突き当たりました。とても悲しい気持ちになりました。ネットは書いた本人が削除しない限り、いつまでも残ります。その非難に対しても同調して賛成意見コメントを述べている者もクリスチャンでした。臭い物に蓋をせよとは、私は申しません。

事件を侵した者は、国の法律で裁かれます。私達もそのような似た事件を、いつ犯すとも限らない弱い存在です。ネットで・・またその他のメディア媒介で断罪する者、同調して非難する者の心は晴れるでしょう。未信者が偶然。そのサイトを見たらどのように思うのでしょうか。 事件性のないことで、教理に関して、信仰姿勢に対しても非難と断裁しているサイトも悲しくなりました。非難さえ避け、協調し過ぎなければ、三位一体の神なのです。何処かで一致点が見つかるのです。




それよりも、神の国が落とし入れられ、傷つく気がします。悲しむのは十字架にかかってまでも、私達のためにとりなして祈って下さった、イエス様ではないでしょうか?神の国の法律は許しと、その罪を犯した、まちがった人のために、とりなして祷りを捧げることなのです。 非難と断罪ではないのです。断罪は、神のなさる事です。私達は罪からの回復を祝して祈り願う者でありたいです。

 神は隣人の為にとりなして祈って・・万人祭司として人々を愛する事、仕える事を願っておられます。この詩編15には、他にも神殿、教会に住む者、集う者への警告でも在り、神の願いでもあります。キリストの体を通して、教会に、神の神殿に住んで欲しいと願っておられる神の願いと条件です。 私達が聖霊の宮として、神が住める体に変えられてゆきましょう。ダビデの熱心を追いながら・・

2014年1月24日金曜日

@ 神を尋ねる人は・・詩編14

詩編14

14:2 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。

  天地の作り主であり、エル・シャダイ=全能の神は、私達の魂と霊を探し求めておられます。アダムを神の作られた地上を治める者として創造されました。それは同時に、アダムを神の共として、礼拝する者として神に仕える者としての地位権利を与えられました。

 しかし、サタンはその権利と地位をねたみ、アダムをだましてました。

霊の世界における地位と権利を奪い去りました。ただ唯一。神を礼拝する者として残されたのです。

神の一人子であるイエスをこの世にもう一度。第二のアダムとして送り込まれました。

その契約はアブラハムを通して実現されました。それ以来。神の救いの契約を信じ求める者に、この特権を与えられるようになさいました。神。エル・シャダイは、私達の霊と魂
を探し求めておられます。

   この世の霊的権利を奪い支配者となったサタンは、神の新しい契約、私達との契約を嫌い、引き裂こうとあらゆる手段で困らせ、困惑させてきます。そのような事態に陥っては「神もほとけもあるもんか!!」とつぶやく。神への期待信頼から裏切られた絶望感にさいなまされた人々は神を捨てます。
  
悟りある者は試練として乗り切ることが出来ます。あらゆる困惑、失望からの中でも、賢明に神を見いだすことが出来ます。絶望した心で物事を見つめるのか?

消えそうな灯心の様であっても、聖霊の風が吹き再び燃えることが出来ると信じて待つ。神の臨在を失望のどん底からでも、悟りを持って神を探すかの大きな違いがあります。

神は大きな愛いと忍耐を持って、私達の霊的な帰還を待っておられるのです。

  ヤコブ 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。



2014年1月17日金曜日

@ 天の父ちゃん アバ・・詩編13


私を苦しめる者が、動揺する私を見て喜ぶことのないように。 あなたの慈しみに依り頼みます。私の心は御救いに喜び踊り 『主に向かって歌います。主は私に酬いてくださった』と 
                          詩編13:5~6 共同訳

私達は神に祈ります。特に私達に襲いかかる苦しみの時。 しかし、神は何故か無視しておられるかのように感じたりします。また、私達の祈りの答えを忠介をしたり運んでくれたり、良い知らせを伝えてくれる天使さえも、私達の側から離れたかのような時を過ごすことがあります。

アバと叫んで泣いて祈り・・泣いて状況が変わるように祈っても・・ それらが全部、天井に祈りが跳ね返ってくる気がしたことがないでしょうか?毎日、毎日。同じ事の繰り返し。心は衰え、嘆きの声が続く日々・・ 状況は変わりません。


 私達の敵、日々の問題は一層の勢力まして、私達をあざ笑い責めてきます。私達の敵は、私達が衰えて動揺するのを楽しむかのように、私達が祈りを止めるのを喜び楽しんでいます。

 この詩編作者のダビデは、最初の妻にあざ笑われました。 義父からは疑いを掛けられ、追われる身と成りました。
聖徒の集まりと言われる教会の中で、私達の信仰に疑いを掛けられたり、あなたの使命感はおかしいと言われたり、それは賜物ではないと言われたり・・ 一般社会の中で置いては、職場の中でも。。良いことだと行動したら、逆にたしなめられたり。。急な解雇にあったり・・ 色々の問題や悩みが次々、私達を襲ってきます。

  でも、立ち止まり、黙想してみれば、神はいつも良い素敵なことをして下さる方です。神の慈しみに依り頼みましょう。神の救いは確実にやってきます。 何が足らなくて、問題が起きてくるのでしょう。

 ダビデは苦しみの中から、神により頼んで賛美を捧げています。

 イスラエルが敵の前で、彼らの軍隊の前には必ず賛美を捧げる音楽隊を先頭に立たせました。聖歌隊や楽器を使って敵を打ち負かせたのは、神や天使が働いて下さいました。 弱腰になって、聖歌隊や楽器隊を組織しなかったときには、イスラエルは敗北をする結果と成りました。

詩編22:3 神は賛美を住まいとして、その賛美の中に臨在を表して下さいます。エペソ5:19 いつでも賛美を捧げることを、神は喜ばれます。ヘブル13:15 賛美は神が一番喜ばれる生け贄です。

あなたが例え虐げられ、苦しめられようとも、あなたは決して、神の計画からもれるようなことはないのです。強いて結えば、祈った本人が、答えを先に出してしまうことです。諦めたという答えをです。 神はあなたを諦めてはいないのです。祈りの答えを出す一番のタイミングを図られる方です。

そのためには、いつでも喜んで賛美し続ける事が大切です。ハバクク書3:17~19 を見るならば、収穫が消えました。
今まで積み上げてきた人生の収穫が消え去りました。希望が嘆きに変わりました。

 けれど、不平や不満、不安よりは・・嘆きよりは賛美を、いける神、イエス様に捧げましょう。

ダビデも、苦しみの中にあっても、賛美を捧げました。神は賛美を通して顧みられます。

 人生の収穫が無くなった。行き詰まったなら、神と共に出直す機会です。何か失ったときは、再出発のチャンスです。その失った者を、神と共に、恵みを受けて 倍にして返して頂けるのですから。 賛美は神への信頼の証しです。 どんなときでも、賛美して神の手が動く時を待ちましょう。 神は、アバ父は、私達を決して見捨てない方です。

2014年1月13日月曜日

@ 悩む人を踏みにじらない方とは・・詩編12

悩む人を踏みにじらない方とは・・ 詩編12

主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今。私は立ち上がる。
わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」主の御言葉は混じりけのない言葉。
土の炉で七回もためされ純化された銀 詩編12:5~6

 東北関東震災では、多くの人々が避難所での過酷な生活に追われています。
彼らの嘆きと祈りは、必ず神に届くと信じて祈りつつ。

 さて混じりけのない金銀の輝きを知っていますか?それはクールな美しい輝きです。
銀の元になる物には、不純物が多い鉱石です。そのことを暗示させるかのように、ダビデは、彼にへつらう人のことを冒頭に語っています。聖徒との純粋さではなく、偽りのへつらいで彼に近づいては裏切りました。 彼もそのことで嘆いています。その救いを神に尋ね求めました。2節

神の言葉は純粋な銀のようで、輝いていることもダビデは知っていました。彼はその素晴らしさを賛美しています。主なる神も、その賛美に応答して立ち上がって救い出されると言われました。それも単に救うだけではなく、私達の願うように、求めに応じると言われました。「ハレルヤ!あなたの願いが、今日。聞かれました。」と私達はいつも聞きます。
また祈った後には、「主よ。信じます」と答えます。




 あなたは盲人のために祈ったら、その答えが来て、その盲人のめが見えるようになると信じ続けますか?その答えを見るまで・・「主の愛するあの人を救って下さい。」と祈ったら必ず、その祈った方が救われる日が来ることを信じ続けますか? 即答、直ぐに祷りの答えがないときに、あなたは諦めて・・二心にはなりませんか? 何処かに、神からの即答がない理由を、あなたの心の中に見つけてしまいませんか?

そうです。確かに、信じ続けることは困難です。即答される時もあれば、1年。2年神からの答えがないです。いいえ!10年、20年と答えがなかったら・・二心になってゆきませんか。 「信じると言ったけれど・・、私は信仰が弱い人間だから・・神は私を忘れておられるな~。そうだ! 答えなんか元々無かったんだ!」

『唇は我々の物だ。』 4節 不平は二心を生み出します。信じようが、信じまいが、我々の勝手なんだと・・聖書は祷り求めるなら答えが来る、信じたとおりになると語ります。 『私より、素晴らしく大きな業をする。』とイエス様が言いました。 

信じ続けて何時間も、何日も・・祈り続けて、死人を生き返らさせた牧師がいます。 彼は諦めなかったのです。彼の名は、トーマス・ムティー牧師(ケニア) また、ジョセファット・ガジマ牧師。
 タンザニアがおられる事も事実です。 普通なら「死人の蘇り?これは出来ないと先に思い込んでしまいす。」 自分の信仰の力を見てしまうからです。(この件では異端だと反論を展開している方も・・ネット上にお見かけしています。けれど神に,信仰には無限で出来ない事は無いのです。小さな信仰でさえも,山を動かす事が出来ると聖書には書いてあります。)


 神は私達の土の器を製錬なさいます。私達の素質を見いだして、まるで鉱石から製錬して銀を取り出すかのように。聖霊の宮へと導かれます。貧しい心を、金の輝きに代えてくださいます。
私達の輝きを増して磨いてくださる、聖書の言葉によって・・

 
神の言葉は感情や人の思いではうごきません。 
聖書の御言葉には、神の意志が書かれています。 その神は言われます。「私は立ち上がる。私は彼を、その求める救いに入れよう。」と言われます。 私達の心の中では二心ではなく、神を信じ続けましょう。 御言葉は輝く銀のように純粋です。その純粋さの故に、祷りには答えてくださると確信しましょう。

 7歳の女の子が、始めてキリストの福音を聞きました。彼女が信じて、洗礼を受けたのは、なんと80年後でした。

7歳の女の子に、福音を届けた最初の方の祈りが80年後に聞かれたのです。当然ながら、その方は既に亡くなっておられましたが、主なる神はその時。7歳の女の子が、神と出合っても素直に信じられない環境から、7歳の女の子が、神キリストを信じられる環境の時を待ち続けて、最初に彼女に福音を語った人の祷りに答えを出したのでした。

さて女の子とは、私の母でした。母が八七歳の時に洗礼を受けた日に、私は始めて、母の口から聞き、驚きました。仏教を信じていた母には、キリストからは、ほど遠いことを知っていたからです。

まして母は痴呆症にもなり全ての記憶が2年間。全く失われていました。神は奇跡を起こされ、記憶を回復させてから、キリストを信じるようになさいました。母が7歳の頃に福音を聞いてから、途中には戦争もありました。80年の月日が流れ、最初に母が救われるように祈った方の祈りに答えを出したのです。

神の言葉は純銀以上の輝きがあります。 
世界を純化 精錬する唯一なもの、それは既に持っておられる、あなたへの神の言葉、聖書の言葉なのです。

 神はへりくだる者の心を無駄にははなさらないです。

2014年1月6日月曜日

@ 拠り所が壊されたら 詩編 11

心の直ぐな人を射ぬこうとをしている。
拠り所が壊されたら正しい者には何が出来ようか。詩編11:2~3


 ダビデは、彼に襲いかかる敵に対してのあざけりの声を聞きました。神に身を避けているにもかかわらず、あざける声を聞きました。 ダビデの信じる天地創造の神。

父なる神をあざけるかのような声を・・彼だけなく私達にも、彼と同様な声を聞きましす。そのキリストを棄ててしまいなさいと・・
信じても何になるとか・・



 確かに試練は来ます。または、あなたの信じ方はおかしいと言われたりもします。誤解や中傷あります。でも、そのよう時には、聖書を調べてみましょう。神の言葉の確かさを見ましょう。

使徒行伝17:11 聖書を、私達が調べるように、神様も私達の心を調べます。「その瞼は、人の子を調べる。主は正しい者と悪者を調べられる」詩編11:4~5

 
 同じ聖書。神の言葉であっても、受け取り方には、違いが出てきます。それは神の目からの解釈、人の立場からの解釈で微妙に違いが出てきます。その人の経験や思考の影響は否めません。神の言葉。聖書は、主の心、神の考え方から発せられました。
神のお気持ちになって、神の立場から理解をしなければと思いませんか?

 それにしても色々の困難、試練がありますね。ダビデも幾多の試練を受け、またダビデも過ちもしました。そのたびに、神の元に立ち返る悔い改めをしました。私達に完全ではないですから、過ちは犯します。

 けれど試練は、神に愛されている事を知るためにも起きる試練があります。「試練や患難は、私達を神に近づけます。ローマ5:3~4」また信仰を深める試練もあります。ヤコブ1:2~3

 悪魔の試みは、神に対しての不信感を増し加えさせて、私達の無力さを噛み締めさせては、神から離れさせようとして働きます。また、私達の過去の罪を告発して、私達の無能さを思い知らせようとします。

 また『隣人を愛しなさい。』と、神は語っておられます。しかし無用に、戦いを挑んで、隣人に対して怒りや憎しみを植え付けさせようともします。


 神の救いは完全です。神は、私達を私生児として扱いません。その試みや懲らしめが大きければ大きいほど、本当に神の子である事を確かめる機会となります。

 神からの試練は神の子としての取り扱いである特徴があります。ダビデは、洞穴で寝入っていたサウルの衣を切っても、命は取りませんでした。

その時点のサウル王。神の立てられた権威に対する服従の念からでした。ダビデが試練に勝利したように、神は私達の心を見られます。神に愛される人になりたいですね。

2013年12月4日水曜日

心の歌。命のパン 喜びの讃美の一歩

私の心に残る歌。聖書の詩編から+


 別のチャンネルで、一時。詩編のブログを書いていました。
新たな気持ちで、再開いたします。

途中までは,前記の記事と一部の部分では重複しますが,又再度お読み下さいましたら幸いです。
宜しく お願いいたします。 神からの祝福が貴方に注がれますように祈りながら・・



 『時がくると実がなり、その葉は枯れない。』詩編1:3より





 桜は私たち日本人にとっては特別な花ですね。とても短い期間。でも心に残ります。
花が散ること。それは次のステップ 実がなるためには花は散らないと行けないのです。

聖書から見てみれば、花が咲き散ることは次のステップである、豊かな実を結ぶための準備です。主イエス様の言葉の中には、
『私は葡萄の木で、あなた方は枝です。人が私のとどまり、私のもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くのみを結びます。
私を離れては、あなたがたは何もする事が出来ないからです。誰でも、私にとどまっていなければ、枝のように投げ捨てらて、枯れます。』 ヨハネ15:5~6 

 植物の植物の成長には水は欠かせません。詩編1章にも、同じ考えが書かれています。水路の畔に植物が植えられて成長し、豊かな実を結びますと語られています。主エスは、私たちの霊的な命の水です。イエス様の命の水の畔(水路とは、人の手による水の流れ=聖書)に、人生の根を張りましょう。イエス様は約束をしてくださっています。『流れの畔に根を下ろすなら、あなたのなすところは、みな栄える。』と約束をなさっています。人生に思わず困難が来ます。誘惑もあります。まるで、私たちを燃え尽くすかのように、次々と問題や誘惑がやってきても、イエス様と言う川の畔に、根を張った信仰を保ち続けるなら、イエス様から、御言葉という水を吸い上げることが出来ます。 しぼまない、かれない美しい実を結ぶ環境は整えられているのです。

豊かな人生の実を結べるのは、イエス・キリストにつながっていてこそ、豊かである、真実の実を結ぶことが出来ます。 この世には、積極思考という発想もあります。それはそれでよいことです。何故なら、多くは聖書のルールが用いられています。クリスチャンでない方が大いに用いていますけれど・・クリスチャンでなくても成果が出るのは、聖書はいかに真実の言葉を語っているかが分かります。けれど問題は、一般的な積極思考だけですと、その中には、聖書の思想も多く取り入れられています。問題はその中にはキリストの言葉の命がないのです。

 あなたの唇には、神の言葉の命が移されていますか?聖書は薦めています。神の言葉を夜も昼も喜び口ずさみましょう。 神の言葉の命が、貴方に移されます。 あなたの人生の根を、人から神に移しましょう。神の教えを「口ずさみ、思い巡らしましょう。」 キリスト教会に行っているからだけではなく、キリストの言葉の中に、御心の中にとどまらなくては、祈りも聞かれないし、本当の意味での豊かな実が結べないです。ヨハネ17:7

  キリストにある、とどまって得られた、その喜びを人々にも分け与えましょう。福音を伝えましょう。 神は、私たちが豊かになることを望んでおられます。一方的には、神から恵みは来ません。私たちが信仰と決心と希望と行動を求められています。 それは、私たちと神様のの共同作業と言っても良いでしょう。 神と共に
働き、恵みと成長する事を、実を結ぶ事を、神は望まれています。

根である私たち自身が、水を求めて吸い上げるという作業が、私たちに課せられています。 水路は作物の成長の為に、自分から掘り進み、水路を作り自分の作物の豊かに実ることを願います。水は命の水であるキリストから流れます。水路は、キリストの十字架から流れる力と助けによって、あなたの信仰によって、作り上げて完成されます。