誰にも気に留められずに
ひっそりと
目立たない存在のあなた。
厳しい条件下に置かれ
夏の日照り 冬の寒さに耐えながら暮らしている。
あなたの存在などは、誰も気に留めない。
周りには、あなたよりも目立つ生き方をしているものが
あまりにも多いからね。
日常で誰も あなたを顧みたりはしない。
周りは誰も気がつかないで、私たちに感嘆の声も上げてもくれない。
しかし、復活の春には、艶やかな装いに生まれ変わり
あなたの全身の喜びが、周囲を驚かせ 感嘆させ魅了させる。
遠く離れていても、輝いている貴方の姿を発見できるよ。
緑が多い森の中で、あなたが1番目立ち輝いているからね。
何て素晴らしい。
一年分の苦労が報われている瞬間だね。
あなたは一年のとても短い期間だけれど
多くの群衆に感動と癒やし、喜びを与える。
それはなんと 驚くべき素晴らしいことか
またあなたの結実は小さくても、空の鳥を喜ばせ
小鳥たちをしっかり 養うように成る。
その実は、その報酬と成り あなたらしい 君の仲間を
その山の中に残していく
あなたの名前は、山桜。
一年に1度 短い間の出来事
華々しいときが過ぎたら あなたは、また次の時まで控えめ
目立たない生活に戻っていく。着実に 次の計画の為に
緑の森の中 山の中で 沈黙し着実な暮らしをして・・
あなたの名は 山桜。
私たちの人生も、同じだと思う。
生活に追われ疲れたり、人から顧みられ無きときもある。
神の計画にしたがって生きていても
厳しい条件下に置かれるときが在る。
キリスト、父なる神は 、それでも着実に、あなたを顧みて
人生の中で華を咲かせ、信仰の実がなるように導かれる。
私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
イザヤ53:1~2
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
マタイ 6:26
詩編14
14:2 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
天地の作り主であり、エル・シャダイ=全能の神は、私達の魂と霊を探し求めておられます。アダムを神の作られた地上を治める者として創造されました。それは同時に、アダムを神の共として、礼拝する者として神に仕える者としての地位権利を与えられました。
しかし、サタンはその権利と地位をねたみ、アダムをだましてました。
霊の世界における地位と権利を奪い去りました。ただ唯一。神を礼拝する者として残されたのです。
神の一人子であるイエスをこの世にもう一度。第二のアダムとして送り込まれました。
その契約はアブラハムを通して実現されました。それ以来。神の救いの契約を信じ求める者に、この特権を与えられるようになさいました。神。エル・シャダイは、私達の霊と魂
を探し求めておられます。
この世の霊的権利を奪い支配者となったサタンは、神の新しい契約、私達との契約を嫌い、引き裂こうとあらゆる手段で困らせ、困惑させてきます。そのような事態に陥っては「神もほとけもあるもんか!!」とつぶやく。神への期待信頼から裏切られた絶望感にさいなまされた人々は神を捨てます。
悟りある者は試練として乗り切ることが出来ます。あらゆる困惑、失望からの中でも、賢明に神を見いだすことが出来ます。絶望した心で物事を見つめるのか?
消えそうな灯心の様であっても、聖霊の風が吹き再び燃えることが出来ると信じて待つ。神の臨在を失望のどん底からでも、悟りを持って神を探すかの大きな違いがあります。
神は大きな愛いと忍耐を持って、私達の霊的な帰還を待っておられるのです。
ヤコブ 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
私を苦しめる者が、動揺する私を見て喜ぶことのないように。 あなたの慈しみに依り頼みます。私の心は御救いに喜び踊り 『主に向かって歌います。主は私に酬いてくださった』と
詩編13:5~6 共同訳
私達は神に祈ります。特に私達に襲いかかる苦しみの時。 しかし、神は何故か無視しておられるかのように感じたりします。また、私達の祈りの答えを忠介をしたり運んでくれたり、良い知らせを伝えてくれる天使さえも、私達の側から離れたかのような時を過ごすことがあります。
アバと叫んで泣いて祈り・・泣いて状況が変わるように祈っても・・ それらが全部、天井に祈りが跳ね返ってくる気がしたことがないでしょうか?毎日、毎日。同じ事の繰り返し。心は衰え、嘆きの声が続く日々・・ 状況は変わりません。
私達の敵、日々の問題は一層の勢力まして、私達をあざ笑い責めてきます。私達の敵は、私達が衰えて動揺するのを楽しむかのように、私達が祈りを止めるのを喜び楽しんでいます。
この詩編作者のダビデは、最初の妻にあざ笑われました。 義父からは疑いを掛けられ、追われる身と成りました。
聖徒の集まりと言われる教会の中で、私達の信仰に疑いを掛けられたり、あなたの使命感はおかしいと言われたり、それは賜物ではないと言われたり・・ 一般社会の中で置いては、職場の中でも。。良いことだと行動したら、逆にたしなめられたり。。急な解雇にあったり・・ 色々の問題や悩みが次々、私達を襲ってきます。
でも、立ち止まり、黙想してみれば、神はいつも良い素敵なことをして下さる方です。神の慈しみに依り頼みましょう。神の救いは確実にやってきます。 何が足らなくて、問題が起きてくるのでしょう。
ダビデは苦しみの中から、神により頼んで賛美を捧げています。
イスラエルが敵の前で、彼らの軍隊の前には必ず賛美を捧げる音楽隊を先頭に立たせました。聖歌隊や楽器を使って敵を打ち負かせたのは、神や天使が働いて下さいました。 弱腰になって、聖歌隊や楽器隊を組織しなかったときには、イスラエルは敗北をする結果と成りました。
詩編22:3 神は賛美を住まいとして、その賛美の中に臨在を表して下さいます。エペソ5:19 いつでも賛美を捧げることを、神は喜ばれます。ヘブル13:15 賛美は神が一番喜ばれる生け贄です。
あなたが例え虐げられ、苦しめられようとも、あなたは決して、神の計画からもれるようなことはないのです。強いて結えば、祈った本人が、答えを先に出してしまうことです。諦めたという答えをです。 神はあなたを諦めてはいないのです。祈りの答えを出す一番のタイミングを図られる方です。
そのためには、いつでも喜んで賛美し続ける事が大切です。ハバクク書3:17~19 を見るならば、収穫が消えました。
今まで積み上げてきた人生の収穫が消え去りました。希望が嘆きに変わりました。
けれど、不平や不満、不安よりは・・嘆きよりは賛美を、いける神、イエス様に捧げましょう。
ダビデも、苦しみの中にあっても、賛美を捧げました。神は賛美を通して顧みられます。
人生の収穫が無くなった。行き詰まったなら、神と共に出直す機会です。何か失ったときは、再出発のチャンスです。その失った者を、神と共に、恵みを受けて 倍にして返して頂けるのですから。 賛美は神への信頼の証しです。 どんなときでも、賛美して神の手が動く時を待ちましょう。 神は、アバ父は、私達を決して見捨てない方です。