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2013年12月30日月曜日

あなたの奇しいわざ 詩編9:1

私は心を尽くして主に感謝します。 
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。詩編9:1


なんと素晴らしいことでしょう。主が私達に目を留めていてくださるとは・・
私達は主に何をしていたのでしょうか?神を求めていなかったり、キリストの名前は知っていても、キリストを心の底から一切、疑わずに神として認め無いことがあります。

また、イエスを神であると認めていても、日常生活の中では、切り離してはいませんか?キリストご自身を心の中心にキリスト・イエスを置いておらず、自分自身の都合、判断や解釈を優先してはいないだろうか?

心の中心に神がいないことは罪を犯している事と等しいと言えます。「神を第一としなさい。」とイエスは教えておられます。それでも、私達が悔い改め、父なる神の御前にでるなら、キリストは全てを許してくださるお方です。

ダビデも失敗を、罪を犯しました。預言者から警告を受けて悔いあらためました。その時に、神が再び、ダビデを認められました。彼は何度も戦にも出ました。身の危険を味わったダビデです。それでも神はダビデも保護し守られました。神に深い感謝の賛美を捧げています。私達も日々の戦いの中に置かれています、けれど主は私達を支え守ってくださっておられます。私達もダビデのように、神を心から賛美、礼拝をを捧げて、その主の名を広げようではありませんか。 神を証しする者となりましょう。

 
 あなたはあなたを尋ね求める者を、お見捨てにはなりません。10節

 あなたは心から神を求めています? 何かあなたが、特別に困った時だけ求めるのですか。普段。神は目には見えないので、普通は実感がないのは当然です。私達が、神を知っていると思っても、それは聖書か知り得る、神の実像はごく一部です。

 聖書を見れば、おおよそのことは分かります。 人々が神について語ることを聞けばそれでも、おおよそは分かります。神様と直接、ふれあい、語り合ったことはありますか?。あなた自身が、神を知るために、神のご人格を求め、交わり知る事が必要です。

  あなたが、始めて、ある方と出合います。挨拶を交わして、自己紹介をして・・それでお互いを完全に知り合ったとは言えません。その後、何度も出合って語り合い、お互いを信頼し合うことが始まってゆきます。 あなたは、その方の願う事。希望と計画を知ります。

 互いに親しくなれば普段から手紙メール・電話の回数も増えてきます。特別な用事が無くとも、無駄話など含めて語り合うようになり、益々心の中心に入り込んできて信頼感が増してゆきます。あなたに突然大きな問題が起きます。
 
 あなたへの信頼度が、彼に対して大きく・・そのことを彼に伝えると、聞き入れて、問題解決のために力を貸してくれます。最初に出合ったときよりは、余計に彼は聞き入れるでしょう。最初の出会いは通りすがりの関係だったのですから、・・それを変えてきたのは、あなたの心に起きてきた彼への信頼度変化。信頼関係なのです。   この信頼関係の深さが信仰です。
 

 


祈っても答えがないと諦めないで下さい。あなたが神の心の中を知らず、信頼がない通りすがりの関係から、親子のような関係に入り込んでみて下さい。

神様は求める者には与えられます。「自分の子供がパンを求めるのに、誰が石を与える親があるか・・』と語られました。マタイ7:9~10 主の倫理を突き詰めて、考えがなくては、この箇所の意味が分かりません。神のご人格も分かってきます。

 この箇所では物質要求の満たしのことは、語っていません。次の箇所を見るなら、隣人の願いを聞き入れ助けること、天国について、狭い門に例えられ語っておられます。ちょこっと知っただけでは、本当に知ったことにはなりません。人間関係、友人もそうです。親友と言えるには、その人の人格を知りつき合わないと、親友とは言えません。まして、霊であって直接普段は目には見えない神を知るには、なおさらです。ゆっくり時間をかけて、もっと深く、もっと親しく、顔と顔とを合わせて神を知りましょう、尋ねましょう。その上で、より頼みましょう。 神はあんたを顧みられます。いざという時には必ず、たけてくださり、救い出してくださいます。

 人間が勝ちほこらないために。 国々が神の前に裁かれますように。19節

ダビデの祈りでもあります。私達は霊的なイスラエルです。現代においても、イスラエルの国に敵対する国々が無くなる事、神の手の介入を祈り、イスラエルの平和を祈りましょう。

 私達に肉体的に、精神的に、批判的に、霊的に。挑んでくる問題は多いです。多角的な救いと助けを求めましょう。助けを求めて、あなたを敵たいするものを裁かない、過去にあなたを悩まして苦しみを与えた方も許して・・  『あの人のしたことは許せない!』と長期間思い続けないで、神にその捌きをお任せしましょう。 あなたが許さないのなら、あなた自身が御前で裁かれないためにも、愛と許しは大切です。

 神は一番の愛と許しを、私達に与えて下さるのです。私達の行いに寄らない、愛の許しを 十字架を通して・・贖いを通して信じる者の上に 与えられるのです。

過ぎ去った日々の中で、キリストに出会って、神がして下さったことを、しっかり心に刻みつけて,そのことをいつまでも讃美して生きましょう。 次の試練に対して乗り越える力となる讃美を献げていきましょう。 

来る年月を 始めて受け取った時の・・神の愛を心に刻みつけましょう。  始めの愛を忘れないで下さい。

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