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2014年1月5日日曜日

@ 詩編10より 苦しみの時、なぜ、身をかくされるのですか

  主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。
苦しみの時、なぜ、身をかくされるのですか。 1節


 当然、思いもよらぬ事が、身に襲いかかります。

 かって経験したことのない地震と被害が北日本を襲いました。
この様なときには、とんでもないデマや風評もあります。
神の裁きだと言い出す人もいますが、決してそうではないと思います。

 突然の病気、いわれのない濡れ衣。経済的な苦難、誰かに誤解されたり、私達が行っていることに対する事への不理解などがあります。私達を落とし入れようとする動き。私達に対して高ぶった意見、デマなどで困惑させたりもします。

 理解を超えることが日常茶飯事に、神が関わって頂けないような気もしてきます。次々と問題が起きてくるからです。
ヨブに意見を述べた3人の賢者のように優れた意見で、私達を責めたりもします。神が居るなら,あのような地震や津波があったのだ!と文句も言う方もいます。

 神は黙認をしておられるかのようです。祈りや嘆きにも、神は耳を傾けてくれないのですか?。祈りは天井に跳ね返るように帰ってきてしまいます。急にむなしさにも襲われます。

 主よ。立ち上がって下さい。神よ、御手を上げて下さい。
どうか、貧しい者を、忘れないで下さい。12節

 神は私達の叫びを聞き届ける耳と力をお持ちです。
よく思い起こせば、神の姿に似せて創られたことを・・
耳や目が神に似せて創られたのですから・・

 悲痛な状態下で、神を求める事は苦痛にも似ています。
祈りたくても祈れない。神は私達を忘れられたのでしょうか。

 懸命に祈る事が出来なくなります。目は曇り、耳はふさがれたかのように感じます。困惑の中でただ涙があふれるだけです。
神は何事にも無関心で、答えられない気がしてきます。

 時として、神は私達が苦痛に圧倒されることを許されることがあります。それも、私達を暗黙の暗闇を通されて、神ご自身が実は近くに存在しておられる事を、私達に知らされるために。

 身近におられる神を、私達自身が見つけるために導かれるために、暗黙中を通されます。そのことによってより深い信頼関係を築く為に。そのことによって、より一層、私達を強く愛しておられる事を知らせるために。

 アブラハムが神の捧げ物を用意しました。けれど、最初に来たのは,神では無くてカラスがきました。望む事。神は直ぐに来なかったのです。次は来たのは睡魔です。彼は自分と睡魔と闘います。待ちくたびれる真夜中に,神は、火をもって,アブラハムの捧げ物 生け贄の間を通られたのです。

     YouTube動画   ⇒Foot print 足跡 私の作成した動画をご覧下さい。   

 私達は、自分の感じる事だけに頼ってはいけません。

 感覚や感動では神を信じてはいけないのです。 信仰は感覚や感動だけでは信じても、時間。年月が過ぎますと、それらは薄れてゆきます。

 神を感じなさいとか、聖霊を感じなさいと勧める方もおられます。それは、それで大切です。

 しかしそれ以上に、感覚とか感情以上に大切なこと。
神の言葉。聖書によってのみ、その言葉を信じることによって、
培われ養われる者です。子供のいないアブラハムは、神からの言葉を信じて、義とされました。創世記15章6

 神の臨在は感じないで、被い隠されていても、主の声が、あなたの耳に直接、聞こえなくても。

しかし、主はその陰にはおられます。 私達を昼も夜も、寝ているときにも、私達を守り続けておられるのです。 迷ったら,聖書を読みましょう。聖書の・・神の言葉を待ちましょう


詩 46:5 神は、その真ん中にいまし、その都はゆるがない。
神は夜明け前にこれを助けられ・・と書かれています。

 私達が罪を犯して、神から離れているときにでさえ、主エス様は、父なる神の前にとりなして下さっておられるのです。信仰が無くならないように、私達のために祈って下さるのは、他ならぬ主イエス様です。 

周囲の激しい変化にも恐れないで下さい。主はインマヌエル。 共におられる神です。

 あなたの中にある暗黒をすなおに、イエス様に語りかけて告白し、神を待ち望みましょう。

 アブラハムが暗闇の中で,カラスや獣を追い払い、失望しかける睡魔とも闘いながら,神の臨在を持ち続けたのです。

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