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2014年4月23日水曜日

@ 聖書 詩編 24より


この詩編は,大きく2つの文節があります。

主の主権を認め賛美する節です。次に主の栄光が私の中に降りてくる喜びの節です。

1節には、『地とそれに、満ちているもの、世界とその中に住み者は主の者である。」と宣言しています。


この世界は主によって築きあげられたと告白し認めています。
世界のもの,すべては主によって創造されてと告白して,私たちは種に属している者だと語っています。特に主を礼拝者、救われた者は主によって新しく作られた者です。
  
ヨハネ 3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

Ⅰペテロ
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

Ⅰペテロ  1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

 主から生まれた者は、主が養います。前記の23編のように羊飼いとして私たちを養うのです。  養われるためには、全権をその養う方・・神様に委ねなくてはいけません。


 「門よ。おまえたちの頭をあげよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の主が入って来られる。」7節から大きな流れの節が動きます。

        


神はただ御座に臨在をしておられるだけでは無く、私たちを静観しているのでも無く,
私たちの心と魂の中に下って,、その処。私たちの霊の中を住まいをして下さるのです。

私たちも住まいとなさって下さいと、心と魂を父なる神・キリスト・聖霊様に、心を明け渡して、主によって支配されることを喜びとしなければ意味が無いですね。

 ダビデの賛美ですが、神がシオンを住まいとされる前にはなにがあったのか?

それは敵に契約の箱が盗まれていたのです。神はその敵を支配して困惑させ、戦利品であった契約の箱を,イスラエルに返したのです。ダビデはその契約の箱がシオンの丘に戻ってきたときに、この24編を歌いました。

契約の箱のあるべき処は、主を礼拝するあなたの心の中に留まらなければなりません。

主の契約、救いがあるところには賛美があり、主はその賛美を住
まいとされます。そして恵みとしてあなたを救い養います。

あなたの問題の前でも酒宴を開く余裕を与えるのです。あなたが、主に支配されることが第一の条件となります。
神の恵みと賛美があなたの上に豊かにありますようにと祈ります。


  24編のを生活の中で生かす。

 門が開けられ、神が入ってくるところは,あなたの心の中です。
『門よ。頭を上げよ。』とダビデは宣言しています。7節  ダビデはいかなる場合でも主に使える心と常に神を喜び 勝利宣言告白する心をを持ち続けました。

契約の箱・・それは現代では聖書にあたります。

主の臨在を絶えず喜んでいました。喜びの賛美があるところでは主が勝利をなさいます。あなたの不安は信仰不安につながりますし、あなたの敗北にもつながります。

不安は主を退けるからですね。

世の中には傷つくことは確かに多いです。あなたがたたかれることもあります。疲れることもあります。しかし、あなたの心に住まわれる主キリストの臨在に気がつくならば、万軍の主、勝利の力の源であるキリストに信頼を重ねていくなら,神はあなたの頃に住んで下さり,あなたに勝利をもたらします。そして、あなたは神からの祝福を受けるのです。

病になっても不安に打ち勝ち、既にキリストの十字架。購いが、あなたの打たれた傷、病も治して下さった!過去の病として感謝し癒やしを受ける心構えも重要です。

癒やしだけでは無く、次々と起きてくる各種の生活の中、仕事。事業のこと・・・問題も解決されてと感謝讃美始めると 後から現実=解決がやって来ます。何故なら、神は全てに勝利者。私たちをその勝利者として導くのです。 不安は捨てましょう。

日々コツコツと日々の生活と讃美を煉瓦を積み上げるかのように・・折に触れて ベストな設計プランの変更さえも語りかけて下さいます。神の声を聞くためには、あなたから神に近づく事が第一条件です。

想像を超えた助け、アイデアなど色々の方法で、神様は私たちの手を引き上げて下さいます。

神の声を聞く方法の第一は、私たちが神に近づく事です。
リンク 神の声を聞く 
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今一度。 詩編24を見直して下さい。

24:1 地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。
 24:2 まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。
 24:3 だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。
 24:4 手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。
 24:5 その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。
 24:6 これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。 セラ
 24:7 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。
 24:8 栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。
 24:9 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。
 24:10 その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。 セラ

2014年4月16日水曜日

@ 詩編 23より

 詩編23

ダビデは以下の素晴らしい歌を神に捧げて讃美しました。
キリストを信じる者あれば・・又 聖書を1度は読んでおられるならば 必ずと言って良いほど読まれる詩編の23番です。





ダビデの賛歌
 23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

   羊はその性格として、一匹では生きていくことが困難です。
少し気ままでもあります。集団で無いと生活が出来ないのですが、時には、その枠から迷い出て、自分の食べたい、牧草を探したい所に勝手気まま ある意味自由?しかしも後戻りが出来ない性質を持ち合わせています。  迷い出る羊の原因でもあります。

羊飼い。その主人の顔もよく知ってもいます。
  偶然。有る道筋で、私は羊の群れの前に、立ち会わせてしまいました。(海外に居たときの話しです。) 羊たちはビクリとも動かなくなりました。
  羊飼いは『 ムッシュー(私のこと)少し道を空けてくれないか?羊が動かなく成るから・・』」と言いながら、羊たちに声を掛けると、一斉に私の横をする抜けて言いきました。

  羊には、羊飼いの存在が不可欠なのですね。
その羊飼いが、羊たちの必要を完全に満たすのです。
時には熊やオオカミ等の猛獣からも、羊たちを護ります。


 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

神はその栄光のために、ご自身の力を現されます。
ご自身の語られたこと、御言葉を実行なさいます。
喩え私たちが、間違った道、方向に歩み出しても、連れ戻して下さいます。

神がソドムを滅ぼそうとしたときに、彼の甥ロトのためにもアブラハムの願いとりなしを聞かれて、ソドムからロトを救い出されました。しかし、ロトは完全には神の言いつけを聞かないで、途中で止めてしまいましたけれど・・

注意が此処で必要です。完全にしたがったのか?許容範囲だったかで結果が違うことを、覚えて下さい。

予言者、バラムが間違った道を歩もうとした際には、ロバが先に天使達を見つけて引き下がりました。そのロバが口をきいて、予言者バラムをたしなめました。
神の注意は何時も穏やかなのです。なので、私たちは気がつかないことさえもありませんか? 神は私たち一人一人の決断を重要視なさいます。

ダビデは屋上から見た女性を欲しがり、その夫を戦場に送り、計画犯罪を犯しました。
預言者はダビデの罪をたしなめました。彼は大きく悔い改めました。
悔い改めるか?開き直るかはダビデ自身が決断しました。

 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私たちはこの様で生きている限り、苦難や苦しみ、病との戦いです。
人間関係にも疲れが生じます。 私たちはキリストに向かって自分の解決されたいことを願います。
  神は、それらにも答えを下さいます。
神が叶えて、どれだけ、ご自身が崇められるか?栄光につながるか?を推し量られます。
私たちの個人の欲望を満たす願いは聞かれないと思います。悪い欲望を満たすのはサタンの力です。神が聞いたわけでは無いのです。

キリストを信じたのに、何故こんな事で苦しむのかと疑問さえ湧きます。
けれど、神の鞭は正しい道に導くと覚えるならば、どんな事柄も乗り越えられます。神様の御心に立って、祈りの答えは神が出されます。
試練によって成長して、私たちは強くなれます。ダビデの障害を通して見ても、沢山の苦しみ、誤解され、病にも成り 戦いがありましたが、絶対的な信頼を父なる神に捧げ通しました。

 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

神への信頼の報酬を私たちは受け取ることが出来ます。

 人間関係に疲れて・・教会の中に居て孤独を味有ったことが無いですか? それでも神は貴方の側におられます。

時に正しく正当なことを言うと、仲間はずれに遭うことが、私たち人間社会の中でも良くおこります。クリスチャンになった途端に・・

あなたが御言葉に沿って正しいので、抵抗勢力が妨害するのです。(ある領域では霊的な戦いです。)

クリスチャンとは キリスト馬鹿と言われた名残の語源です。
それだけ熱心に何時もキリストを話して伝えていたからです。


 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

あなたは決して孤独では無いのです。神が私たちの側におられることを現実的に受け止めましょう。


    



  私たち人間側の自己の利益では、神は答えられないです。

感謝と讃美が無くしては次の答えも無いです。どの様な事があっても神から離れない決心が不可欠です。

あなたの上に羊飼い成るイエス様が側におられることを感謝して、その臨在を覚え続けましょう。


追記。

 季節が変わります。椿も桜も終わりかけの神戸です。
けれど変わらない神の言葉と復活の証 主が生きておられることです。
次の御言葉を頂き、失望から立ち上がれ、私の癌に立ち向かえました。癌が治りました。癒やされました。失意と絶望から立ち上がる希望を頂いた言葉です。

現実を見れば、まだ手術まで祈る事さえ出来ない元気も無いときでしたが、『喩え、死の影を歩みとも・・』 この言葉から癌が治ったと信じて受け入れ、治って緑の牧場=私の社会生活の場を元気に飛び回っている姿を想像し、感謝の讃美を始めました。
治った現実を受け入れたのです。<手術まえでした。>

医師が手術を始めると???確かにレントゲンや癌反応が何度調べてもそれらしい癌は無く消えていました。
医師が首をかしげながら、説明をして下さいました。


希望と信頼が、私たちの信仰の成長させる種です。水を注ぎ育ててくださるのは、私たちの助け主の聖霊様です。

<< 詩編 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。>>  

祈っても直ぐに、応えられないときもあります。その時に答えが無いのでは無く、その時に応えがないだけです。不安に打ち勝つならば、時を見計らって、神は必ず答えられます。応えと答えの違いだけです。1度 聞かれた神は、年月を隔てたとしても、ご自身の栄光のために叶えられます。

個人、個人の祈りにも年月を要して叶えられた事も 聖書には書かれています。キッチリと神は答えておられます。神を待つ間に信仰が強められますように。




私たちの祈りが、御心に沿った祈りであるならば、キリストの十字架を血に染めた神です。 椿の木が、十字架と思えて撮影しました。受難週を覚えて・

合わせてこちらもご覧下さい。
YouTube動画 LOVEJOYwwjdさんのチャンネルより


 http://youtu.be/SX4ly9pwPIQ

2014年4月8日火曜日

@ 全能の神.エルシャダイへの賛歌

全能の神への賛歌                         

エル・シャダイ、エル・シャダイ               
永遠に備えられ方。
                          


時が永遠に続いても変わらぬ、お方、           
あなたの名前の力によって。                   
エル・シャダイ、エル・シャダイ              
全てを据えられる方。    
                    
私達はあなたの名を高く掲げて賛美します。    
エル・シャダイ     アドナイ イルエ                          .

あなたの愛は、身代わりの子羊によって、    
あなたは、アブブラハムの息子イサクを救いました。

あなたの力強い手を通して、                  
海を乾いた地に変えました。 
                 
追放者(ハガル)の迷った足を導かれ、        
あなたは、その女の行く末さえも見つめる神でした、        

そして、あなたの力によって、                
あなたの子、私達を自由の身にしました。   

エル・シャダイ、エル・シャダイ              
永遠に備えられ方。  
                        
年月を重ねても、あなたには変わりなく。 
一日が千年のようであっても・・
  
あなたの力ある名によって。                  
エル・シャダイ、エル・シャダイ  
            

全てを備えられる方                          
私達は高くあなたを称賛して、                
その名を高く掲げ上げます。                  
エル・シャダイ 全能の神よ。
御名を讃えます。

あなたは行く年も変わらずに御言葉通りに、明白にしました。  
それは、キリストの時が近いですから・・。
    
人々が見えることができなかったけれども、    
メシアがそうであるべきであること。    
      
あなたの御言葉の中には多くの計画を含んだけれども、       
彼らは、直ぐに私たちは理解が出来ませんでした。     

あなたの最も素晴らしく、すごい手の技をなされました。

あなたの一人子 キリスト。
人の子として生まれその弱さを通して。                 
 
エル・シャダイ、エル・シャダイ       
エレ エレヨン アナ アドナイ  
      
あなたは永遠から永遠に変わらない方です。 
アルファで在り オメガです。
  
キリストのお名前の力によって。 
                         
エル・シャダイ、エル・シャダイ 、           
Erkamka na アドナイ、               

         
私はあなたの名を高く上げて称賛します。
心からの讃美を献げます。
全てを備えてくださるお方です。  
 エル・シャダイ。    エル・シャダイ 、           
Erkamka na アドナイ      

2014年4月4日金曜日

@ 山桜

 誰にも気に留められずに


ひっそりと            

目立たない存在のあなた。


厳しい条件下に置かれ

夏の日照り 冬の寒さに耐えながら暮らしている。 

あなたの存在などは、誰も気に留めない。

周りには、あなたよりも目立つ生き方をしているものが

あまりにも多いからね。

日常で誰も あなたを顧みたりはしない。

周りは誰も気がつかないで、私たちに感嘆の声も上げてもくれない。

しかし、復活の春には、艶やかな装いに生まれ変わり

あなたの全身の喜びが、周囲を驚かせ 感嘆させ魅了させる。

遠く離れていても、輝いている貴方の姿を発見できるよ。

緑が多い森の中で、あなたが1番目立ち輝いているからね。

何て素晴らしい。

一年分の苦労が報われている瞬間だね。


あなたは一年のとても短い期間だけれど

多くの群衆に感動と癒やし、喜びを与える。

それはなんと 驚くべき素晴らしいことか

またあなたの結実は小さくても、空の鳥を喜ばせ

小鳥たちをしっかり 養うように成る。

その実は、その報酬と成り あなたらしい 君の仲間を

その山の中に残していく

あなたの名前は、山桜。

一年に1度 短い間の出来事

華々しいときが過ぎたら あなたは、また次の時まで控えめ

目立たない生活に戻っていく。着実に 次の計画の為に

緑の森の中 山の中で 沈黙し着実な暮らしをして・・

あなたの名は 山桜。



私たちの人生も、同じだと思う。

生活に追われ疲れたり、人から顧みられ無きときもある。

神の計画にしたがって生きていても

厳しい条件下に置かれるときが在る。

キリスト、父なる神は 、それでも着実に、あなたを顧みて 

人生の中で華を咲かせ、信仰の実がなるように導かれる。




私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。

彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
イザヤ53:1~2

 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。

けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。







あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
マタイ 6:26

2014年3月28日金曜日

@聖書の詩編22章より

詩編 22編  前編。

「我が神、我が神。どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠くて離れて私をお救いにならないのですか。」 1~2節

 なんと22編の冒頭から、ダビデの嘆きから始まっています。
彼は率直に嘆きの言葉を神に訴えています。それは絶えず神と差し向かえになっているからの言葉です。

              


たしかに、色々の苦難、悲しみがあります。人と人の小競り合いや争いに巻き込まれることも辛いです。
けれど、もっとも辛いこと悲しいことは、神からの回答がもらえないことです。ダビデもこの問題に直面したのです。

私たちも、同様に神様に向かって叫びますが、ダビデに比べて神の応答が少ないと不平を漏らす方もいます。
神の見方と人の思考の違いが時々あります。人は自分自身に関する問題を中心に考えて祈ります。あなたは目先の問題ばかり追われて、その回答を急いでほしいと願っていませんか?

それとも信仰が無いからとあきらめてしまいませんか?
願って祈っても、御利益が無いからと、キリストから離れ、他の神々に行こうと、あなたの心の中をよぎってはいませんか?

新約聖書 ヤコブ 4:8 「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」 

 ダビデの姿を見るならば、この苦難なのかでも、彼は神への崇光と信頼を表明しています。2~3節  我が神、昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。けれども、あなたは聖であられ、イスラエル<私たち神の国の住人>の賛美を住まいとしておられます。」

苦難に出会うときに、私たちは不平、不満を口にします。けれどもダビデは言いました。

神の住まいは、神の賛美の中に住んでおられると・・どうぞ振り返って、神によって与えられた恵みや平安。祝福を思い起こしては、神を賛美して下さい。

そんなことは無い今まで、そんな良い思いをしたことがなと言わないで下さいね。

主なる神を否定するなら、ますますあなたにのりの答えは、遅くなります。

ダビデは素直に祈り、その答え神の応答が送れていること嘆きながらも、神様の懐に入って言っています。

ダビデの告白は、「しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房により、貴方に頼まさせた方。生まれる前から、
わたしはあなたにゆだねられました。母の体内にいたときから、
あなたは私の神です。どうか、遠くに離れないで下さい。苦しみが近づいており、助ける物がいないからです。」 

答えの無い苦しみを告白しながら、より深く神に近づいて、神の存在と、自分との関わりの深さをを認めているのです。

神を恐れ敬いつつ、神に近づいているのです。神が直ぐに答えないのも、神の大きな計画と私たちがその経験を通して成長を願っておられるからです。

ダビデが経験した事を振り返るなら。その信仰の成長を見ることが出来ます。その神への賛美を見れば、彼の賛美の中に、キリストが住んで下さっていたことを見ることが出来ます。

このダビデの告白体験は、キリストご自身が十字架にかかる前にも経験した祈りの予票でもあります。、キリストは、ゲセマネの園で、同様な祈りをなさいました。

それは私たちを救いに導く苦痛の祈りでした。

2014年3月19日水曜日

@ 詩編21より 喜びは・・


21:1~4 主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。

あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。 セラ

あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。

彼はあなたに、いのちを請い求めました。あなたは彼に、とこしえまでの長い日々を与えられました。
     

21編は、とりなしの賛美です。

祭司や会衆が、王であるダビデに、生ける神が,ダビデに働いておられる事の喜びと感謝賛美を捧げています。

神がおられ、ダビデを支えておられる事。王を支えるので、国民である会衆からの感謝の声が、
キリストへの賛美なっています。

私達は、キリストの十字架の贖いによって、神の国の民となっています。
私達はキリストに栄光が増し加わるように祈り、かつ、その栄光が実存していることを
感謝しなくてはいけません。

キリストの冠は栄光の純金です。私達は永遠の命を求めました。そして、与えられています。王であるキリストに願う願いは、決して退けられません。

 時々 祈ったけれど答えがないからと失望なさる方もおられます。

答えがないのではなく、既に王であるキリストによって与えられているからです。

では何故でしょう?探し方が悪いと見つからないのに似ています。
沢山の祈りの答えが既に、私達の周りに来ています。 探し方ら悪と見つからないのです。

リアリティーを捜しましょう。それは信仰によって得られる、捜せるのです。助けてある聖霊様と
ご一緒に捜しましょう。  リアリティーを待つ間に大切な事があります。 
あなたの信仰の成長です。また賜物として活用できる段階的な成長です。

 ダビデに油注がれてから、サウルのところに連れてこられました。しかし、ダビデは直ぐに王になったのではないです。試練苦難、死の谷を歩みました。
でも、既に神からの油は注がれていました。
またダビデも色々の経験を通して、神への信頼を育ててゆきました。

 神はアダムを創られました。  

アダムは、私達の創造主の期待から外れたことをしました。けれど、神はそのアダムに救いの道を備えて下さいました。 アブラハム、ダビデ、キリストを通してその計画は実行されました。
私達も母の胎の中で創られました。救いの約束されて、私達は生まれました。
しかし、私達一人一人が,その救いの約束に対しての告白して信仰を その救いを受け入れなくては確定されないのです。

主キリストを、私達が信じる事は、キリストの栄光となります。
だが、主の栄光を奪おうとして、霊的な戦いはあります。その矛先は、信じた私達に向けられています。
敵とはサタンです。9節には、敵を徹底的に、飲み尽くすと書いてあります。 

気を緩めることなく、神に賛美と信頼を重ねましょう。私達の捜し物、現実性を奪い隠すからです。
敵の一番の方法は、私達に失望感を与えてダメージを加えるのです。
信仰の人。ヨブも試されました。 妻からの神を呪って見たらと唆されて・・

 私達も試されないことを祈るべきです。と言って 試されることをおそれてはいけません。

詩編21:6~7
あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。
まことに、王は主に信頼し、いと高き方の恵みによってゆるがないでしょう。

 私達は、王なるキリストに支えられて、信頼を学び知り、答えを探し出して、喜びが実現するのです。

詩編21:13
主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。

  私達の祈り願い、捜し物は、主の栄光が崇められるためにあるのです。

捜し物、祈りの答えが優先であってはいけないのです。 答えが願いが優先であるならば、答えが無いその間。失望感がつのるでしょう。 それでも主をい求める者には、 神が良いとされた時に、神の手からの喜びを得るのです。

 詩編21:6
『 あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼(王につながる私達)を楽しませてくださいます。』

2014年3月16日日曜日

@ 父よ。私の神よ。

父よ。私の神よ。


私が生まれた日から、
あなたは私のことを全て知っておられる。

私が幸せで微笑んだことも 人生につまづいて
悩んだ日々をも 嘆き苦しんだ日々。
その涙も知っておられる


私の願い。父よ。私の神よ あなたの側に居たいのです。

もっと 近くに居たのです。あなたの愛の風を 御霊の翼の風を
受けたいのです。

私が弱いときに、信じる事にもつまずいたり 落ち込んだときに
その翼の風を 私の近くに送り届けて下さい。

その風によって あなたの愛を感じ 救いを受け取れます。

わたしの虚ろな感情によらず,あなたの言葉で 私に近づいて
確信を与えて下さい。 私はここにいますから・・。

私のあなたに,私の父なる神に近づきたいのです。

人生はそう簡単では無く,疲れ苦しい時もあります。
辛い事や悲しいことが続くと、父が私を見捨てたかのように
思ってしまうこともありますよ。

けれど父よ。私の神よ。

あなたの言葉と栄光が,私を生き返られて下さいましたね。
あなたは私たちを決して見捨てない方です。
流した涙のしょっぱさを知って下さいますから・・。

わたしが行くのも 留まるのも 座るのも 全て知って下さいます。
聖なる交わりを慕い求めます。

私の願い。父よ。私の神よ あなたの側に居たいのです。

私を悪から 絶望から 救い出して下さい。

私があなたに信頼して 信じる力を与えて下さい。
希望を与えて 生きる力からを与えて下さい。

おまえの信じる父親は・・
  おまえの神は力が無いと言わせないでください。

彼らも あなたの栄光を見て信じ
 そして救われるようにして下さい。

父なる神よ。 御心はかならず時を 年月を隔てても
実行なさる父なる神です。


祈りが聞き届けられたことを信じています。
けれど未だ実現に至っていない祈り 願いがありますから
どうか 思いを変えて 御心を変えて下さいませんか?
第一には 神の栄光が現れるようにして下さい。

けれども願わくは私の一生のうちに 
数多くのことを実現させて下さい。

ダビデ、ソロモンに与えた イスラエルの栄光の時と同じように
日本を輝かせてください。 日本人にキリストによる救いを与えて下さい。 私たちの身の上にも あなたの栄光を与え
輝かせて下さい。

父よ。私たちの神よ。
天使が吹き鳴らす 栄光の角笛を聞かせて下さい。
御国のために,私たちを使って下さい。

ただ 私が何も出来なくても 無償の愛を与えてくださった事を深く感謝します。 失敗や過ちを 罪をも許して下さった。

荒野で青銅の蛇を見上げたときに・・ 

 犯した罪を認めたときに
  キリストの十字架の購いを信じたときから

私たちを神の子として下さった愛を感謝します。
私たちは 父へ 私たちの神を讃美します。


あなたに愛されていること もっと知りたいのです。


私の願い。父よ。私の神よ あなたの側に居たいのです。